
死に一番近いところにいた大切な人が51歳の若さで急死した。
彼女と会うときは「今日が最後かもしれない」と思っていた。
とはいえ、いつも日常生活に支障がないほどに元気にふるまっていた。
今は何を見ても彼女の思い出に繋がって自然と涙がこぼれる。
彼女は話していた、笑っていた、動いていたのに棺の中で寝ているような顔をして大声で呼んでも起きない。
最近特に思う。がんばらなくていい。
主体的に選択していることに取り組むときは、がんばる云々ではなく、勝手に反応する。
世間体、人からよく思われたい、人から嫌われたくない、迷惑をかけたくないなど、
その動機の根本が外にあるときは、がんばらないとならないのかもしれない。
そうすると
こんなにがんばっているのに。
なんで自分だけ?
誰も認めてくれない。
などの被害者意識がつのる。
幸・不幸の分かれ道は被害者意識があるか・ないか。
もし、不幸だと感じるなら被害者意識を克服、破棄しちゃえばいい。
彼女が亡くなる2週間前に彼女と話をした。
そのときの会話で印象的だったのは、彼女が被害者意識を笑い飛ばしたこと。
だから、苦しまず眠るようにあの世に行けたのかな。
面倒見のいい彼女のことだから、私があの世に行くことになったら、迎えに来てくれるだろう。
がんばらなくてもいい。
人は生きているだけで役に立っている。
彼女がそのことを証明してくれた。
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